DJ Apple RUCA|CDアルバムジャケット写真

音楽とビジュアル

 2000年代に入り本格化したサブスクリプション型音楽配信サービスにより、音源の媒体はCDからスマホやパソコンへと移行している。音楽がデジタルで販売されて、デジタルで消費されることで、誰もが気軽に音楽に触れることができる時代になったのだ。
 
CDショップに通い、発売日を調べてお目当てのアーティストのCDを手に入れたり、店舗で実際のCDを手に取りながらジャケットのイメージでCDを選ぶ“ジャケ買い”という動線も過去のものとなり「何故、まだCDが売られているの?」という声も聞くという。
 
余談だが、このことを寂しく思う人は沢山いる(僕もその内の一人だW)。
 
「ネットの情報」ではなく、盤に直接手を触れながら『写真』や『デザイン』を味わうライヴ感こそ、ジャケ買いの真髄であり、音楽に出会うという物語がそこに存在する。個人の所蔵部屋に音楽というビジュアルが並んでいる限り、その物語は続くだろう。
 
大型レコードショップのHMV渋谷店が2010年に閉店した際は多くのニュースに取り上げられた。サブスクを音楽の入手システムと認識している若者に、音楽の購入方法と寂寥感が結びつかないのはムリもない事と思うが・・。
 


 
話を戻そう。
 
サブスクによるミュージックアルバムのジャケットの表示は作品のアイコンとして、分割された枠に並べて表示されており、これらを眺めていると今後CDジャケットのビジュアルは変わっていくのだろう、と推測される。
 
CDジャケットはアーティストの作り上げた作品に対してのビジュアルだが、広告としての顔も兼ねているので、スマホや15.6インチのモニターを想定した画面上で、決して大きくないこのアイコンがユーザー側に音楽のイメージとインパクトを届けられるものが望ましいだろう。
 
デザイン的にはもっと印象を重視したシンプルで単純なもの、世界観(個性)を加えたビジュアル写真も具体性を削ぎ落としたシンボリックな作りが受け入れられるかもしれない。
 
そんなふうにカメラマンとして実際の撮影のイメージをあれこれと考えていると、デジタル化の社会とは人の感受性に与える響きさえも最短に止めようとするのかと、それこそミヒャエル・エンデの「モモ」みたいじゃないかと薄ら寒く感じたりもするが、それでも同時に僕は音楽とビジュアルが切り離される事は決してないだろうとも思っている。
 
音楽をはじめ様々な芸術は常に時代と共にあり、それを反映しながら生み出されていく。クリエーションに於いては今のデジタル化社会でさえツールだと思うし、であるならばその中で音楽とビジュアルの表現を楽しみたいと思う。
 

photographer 高野勝洋

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