麻布永坂更科本店 WEB広告

美味しい写真の言葉

 蕎麦とは不思議な料理で、その名称を聞くと人がイメージするものは大きくはずれないのに、蕎麦屋の暖簾をくぐり箸を取って食してみるとなると、味わいはお店によって大きく違う。

よく地域性なんかで取り上げられる事もあるが、都内であっても蕎麦粉と小麦の配合の具合や、かえしとつゆの割合と言った味わいの部分だけでなく、盛り付けの量や蕎麦以外に並ぶ料理ででも違う印象を持つ事ができる。

 蕎麦とはそれだけ繊細な料理であり、かつその繊細さを楽しめるがゆえに長く愛されている日本食なのだろう。
 


 
グルメサイトで蕎麦屋を検索すれば、クチコミ欄はいつも自称蕎麦好きを名乗る人達で賑々しい。
 
そんなクチコミを見て立派な講釈を読んでいると「じゃあ、この人達の推奨店も一緒に記して貰えないかな」という気持ちが湧いてきて、なんだか釈然としないことがある。趣向が分かれば、評価の基準値も定まる。立派な批評を公開するのであれば、覆面では妙に頼りない。
 
食事とは、そもそも個人の育ってきた環境や嗜好によって大きく左右されるものである。もし、何が美味くて何が不味いかも分からない人達の付けた星の数に左右されているとしたら、我々は食事を選ぶということに対しては余りにも盲目ではないだろうか。
 
「美味しい」を言葉で伝えるのは案外難しいのかもしれない。
 
「美味しい」食事ほど言葉は少ないものである。
 

 
写真というビジュアルで「美味しい」を伝えること
 
写真を撮るとき、カメラマンは自身の嗜好や感情に左右されることはない料理メニューの写真であれば、目の前にある食べ物に光を当て、フレーム内に映し出される形として伝えるし、店舗案内の写真であれば、居心地の良さそうな店の造りをそのまま写真に捉えるだけのごく単純でシンプルな仕事だ。
 
和食でも中華でも洋食でも、そのスタンスは変わらない。そういう意味では、写真表現はフェアな伝え方なのかもしれない。
 
そう言う伝え方ができるカメラマンの仕事を、僕は秘かに誇らしく思っている。
 

photographer 高野勝洋

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